いしじまえいわ「精読・涼宮ハルヒの溜息」

涼宮ハルヒの覚書」ブログで有名なメモさんこと、いしじまえいわさんの溜息考察本、駆け足ですが読みました。まあまずは、公式ガイドブックもかくやと思われるばかりのプロの装丁と、ゲストイラスト。華やかな本ですね。

booth.pm

「シリーズ化1作目にして最難関」というコピーは、原作なんだろうけれど、この精読シリーズについてなのかもしれませんね。溜息、しょうじきあんまり良いイメージがない人も多かろうし。でもこれは、いったん完結してしまった物語を再始動するために必要な溜めだったんだというのが鋭い見立てです。

まあ僕なんかは2015年に遅れてやってきたので、ハルヒシリーズは驚愕で事実上完結、もう出ないだろうという空気の中で10巻一気に読んだから、溜息成立経緯なんて気にしないでまあ消失への途中段階とくらいしか思ってませんでした。

編集にリテイク食らって失われた本来の溜息エンディングはどうなったのか、メモさんは面白い説を挙げています。まあ読んでくださいですが、こういうことが言えるようになるのが眼光紙背に徹するというやつです。かなわないな。

一々挙げてもたんなるネタバレになってしまうけれど、消失ハルヒキョンの話を信じたのに本線ハルヒは信じないのはなぜかとか、ハルヒは独裁的にみえて映画の内容は団員の持ってきた要素を多く取り入れているとか、いろいろはっとするような考察があるわけです。

CP厨的な見方を公言していいものか迷いますが、この解釈はまっとうであればあるほど、王道CP(であることは僕も認める)キョンハル的になるので、単なる記号的存在とかさんざんに言われる長門さんに心寄せる僕はうーんどうしようとなってしまう面もなしとしないのではありますが、最後の方p.64「キョンハルヒに甘いわけ」あたりまでくると、単に惚れた弱みでないいろんな思いだったりが見えてくるので、読後感は悪くないです。

これまでいろんな人がしてきた考察を集大成したようなところもあり、これからのハルヒシリーズ読解のスタンダードになるんじゃないかとすら思います。

本書を読む前に、あらためて「溜息」を再読したので終盤のメタフィクション論だとか物語類型論だとかひさびさび思い出して感慨深かったです。本書でもふれられているけれど、メタフィクション・ミステリへの志向、これらは最新刊「直観」でついに発揮されたけれど、タネはシリーズ化最初からまかれていたわけです。

次回作消失精読も構想されているそうで、楽しみにしています。