名指しを避けるとわかりにくいのだけれど、すでに行動を変えている人たちを責めたくもないので。
事案概要
アニメの御当地コラボでスタンプラリー企画があります。参加施設毎にキャラクター(デッドコピーではなく独自イラストレーターの描き下ろしのように見える)を使ったスタンプが使われているのです。
そこに、企画に参加していない施設が、類似のスタンプを作って設置するという構えを見せました。
X(旧ツイッター)上ではファン層から疑問(と一部擁護)の声が上がり、少々ごたついたのですが、けっきょく類似スタンプはとりやめとなりました。
考慮すべき関係者
この事案を巡る議論で、立場を分けたのは視野にいれている範囲の差だと思うんですよね。
- アニメ公式と、類似スタンプ作成店の2者だけの関係で考えて、ファン活動と称して連絡を取らずに済ませようとすると、どこまで黙認してもらえるかという問題設定になって、色々の類推を駆使して何をやってもいいように推論しがち
- アニメ公式、御当地スタンプラリー企画、と類似スタンプ作成店の3者を視野に入れた関係でみると、御当地スタンプラリー企画は参加店を集めるところから、アニメ公式に許諾をとって、お金が動いたかは知りませんが、おそらく一定の条件を飲んで立ち上げているところに、横から類似スタンプ作成店が現れて、成果にただ乗りする形となり、また実施条件を踏み越えた活動がでてくると、御当地企画の維持じたいに困難がでてきかねない
結論からいうと今回の状況では「ファン活動だから」という議論には止めに入りたい考えだったのだけれど、それは御当地スタンプラリー企画のような、アニメ公式に話を通した(としか思えない)活動が動いていて、それが街の盛り上げにとってとても大切だと思う状況だから、です。そういうのがなければ微笑ましく見ていたはずです。
- なんでそうわかりにくいかというと、僕はもうひとつ、同人誌のようなファン活動も視野にいれていて、それもまた大切にしたいと思っているからです。
行為だけを取り出して「ここまでやってよい」線は引きにくい
ブレブレに見えるかもしれません。そもそも話の見通しが悪くなる要因として、日本の著作権法制にフェアユースの法理がないことがあると思うのですね。
- 主に米国などでは、著作物の利用が一定の基準を満たしていれば、著作権者の許諾がなくても著作権侵害にあたらないとされていて、フェアユースの法理と呼ばれます。基準というけれどたとえば元の著作物の価値を損なったかといった抽象的なものですから解釈の不安定さはあります。
- 日本の著作権法にも権利制限(第30条〜第50条)があって、許諾を得なくても侵害にならない場合はあるわけですが、米国法に比べるとカチッとした限定列挙というべきものです。
- 結局、アニメファン活動などでは同人誌など、米国ならばフェアユースで堂々としていられるケースが多いらしいけれど、日本では著作権者が黙認していることによって平穏が保たれているものがあります。これを「100%シロではない」ということもあります。
- 一方で、黙認とか100%シロではないという言葉遣いから、本来は100%クロであると思うであるとか、権利者に言いつけて潰すべきものと短絡して考えるのも正しくありません。しいていえば「裁判をやってみなければわからない」です。そもそもそれは例外的異常者の悪ではなくって、だれしも何の気なしに描いた絵や僅かな言葉が偶然似てしまう可能性もあるので、原理としては表現者すべてが問われうるものです。
- 法的措置は伝家の宝刀みたいなもので、抜けばあたりは荒みます。最後の手段です。そんなわけでみなさん話が大きくなる前にと思って動くわけですね